ニューヨーク|クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館

クーパーヒューイット美術館の画像

クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館とは?

この博物館は唯一、デザインとデザイン史に関しての展示をしている博物館です。マンハッタンのイーストビレッジにクーパーユニオンという才能のあるアート学生が無料で入学できる学校があります。その一部として1897年に設立されました。創始者はクーパー家の姉妹サラとエレノア・クーパーヒューイットです。

私ごとですが

メトリポリタン美術館やウィットニー美術館ほど有名でないクーパー ヒューイット国立デザイン博物館です。しかし、何故が20年前、私がニューヨークに来て初めて足を運んだ博物館です。理由は無料だったからです(笑)有料でなかなか足を運べなかったグッゲンハイム美術館の記事もご覧ください。

クーパーヒューイットの歴史|サラを知るきっかけ 

ちょっと怖いお話です。

ニュージャージ州にあるリングウッドマノアとは?

もう2年前のお話になります。バンデミック真っ只中での出来事です。マンハッタンの自粛生活に疲れ、外の空気を吸いたくなったある日。車でニュージャージ州のどこか公園へ行くことにしました。検索してヒットしたのが、リングウッド・マノア(Ringwood Manor)。Manorとは、広大な土地とともに大きな屋敷が佇む広大な領地です。当時、場所についても特に何も調べず、気軽に向かいました。公園ではなく、豪邸の敷地です。

その日はかなりどんよりとした曇り。昼間なのに暗く、悲惨なマンハッタンから逃げるように私たち夫婦は目的地へ。

私は、普段全く車中で眠くなりません。しかし、ある地点からひどい眠気に襲われ始めました。さらに、雲行きが怪しくなり、空はどんどん暗くなっていく。。標高は少し高く、だだっ広く整った広大な丘が見えてきました。

寂れた豪邸、マノアへ到着

やがて木々に囲まれた大きな屋敷らしきものが見えてきます。領地の入り口で迎えてくれたのは、Blacksmithと書かれた木製の小さな小屋。人は誰一人いません。本来閉まっているはずの入り口はなぜか開いていました。そのまま小さなパーキンエリアに駐車。

すると、私は突然ひどい寒気に襲われ、頭痛がしてきました。そして眠気が止まらない!旦那さんに10分寝たいと伝え、車の中で仮眠をしてから 外に出てみようという事に。

そうすると、お屋敷の入り口も開いていて中に入れる状態に。。

クーパーヒューイットの屋敷へ入っていくと。。。

吸い込まれるように、旦那さんは早いペースで先に進みます。私は後からゆっくり門をくぐると目の前にはこのお屋敷がこちら。このお屋敷には3家の歴史があります。一番有名な一族が済んだのは、クーパー家です。

サラ クーパー ヒューイットの生家Ringwood Manorの写真
Ringwood Manorのお屋敷

「なんだか不気味だね」なんて言って写真を一枚だけ撮りました。するとその後、悪寒がいよいよ襲ってきました。頭痛がガンガンし始めました。「もう帰る、寒い、立ってられない」と言い、すぐさま車に乗って屋敷から出ました。私はコロナ感染したのかとも思ったほどです。そして、不運にも雨も降り始めました。

何だか急に怖くなり場を去ることに

私はとても怖くなり、急いでその場から立ち去りました。旦那さんの体調はなんともありません。私がコロナ感染だと心配してくれて急いでその場を離れました。ちなみに、当然誰一人とも接していません。

丘を車でどんどん下ったあたりのある場所を界に、突然、頭痛が消えたのです。急にケロっと回復し、眠気もなくなり、「あれ?」なんて言って 回復しました。

すると、だんだん怖くなってきて、

「あの屋敷、何かあるよ。。あの家の歴史見てみる。。」と返って早速リサーチする事にしました。

クーパーヒューイット家のリサーチ

家に帰って早速Ringwood Manor の歴史を検索しました。まず出てきたのが、この屋敷の非営利団体のサイトです。その外に出てきたのは、当然ながら幽霊出る説でした・・・この幽霊出る説は何とニューヨークタイムズでも取り上げられています。

[鉄鋼業の発展とスタンウェイピアノ]

最初の一族

最初にこの家を建設したのがスコットランド出身のロバート・アースキン。発明家であり、エンジニア。鉄鋼技術がベンジャミン・フランクリンに認められ、鉄鋼を掘り始めたのです。

そうです。私たちが訪れた場所は鉄鋼が取れる場所でした。なので、磁場の関係で先住民でさえ近づかない地域だったようです。私の頭痛もその理由かもしれません。

二つ目の一族

その次に土地を買い取ったのはオランダ人のライアソン家。この家も鉄鋼業で一時は成功しました。しかし、最後は多大な借金を背負う事になり次の人へ売る事になります。その一家がCooper一族。

三つ目の一族の始まり Peter Cooper とは誰?

Peter Cooperは大富豪。マンハッタンで名門の学校Cooper Unionの創始者です。彼もまた鉄鋼業で成功しました。その後マンハッタンにある資本家たちとも交流を深めます。電話回線や建築など様々なプロジェクトにも参加しました。

彼はもともと、貧乏な家の育ちで学位はありません。なので、彼の理念。「教育はどのような背景に生まれたとしても、空気や水と同じように教育を受けるべき」だと言っています。情熱からこの大学に投資をして建設したのです。現在、この学校に入るのは16%(100人に16人)しか入学できません。もちろん、全額学費無償で勉強することが出来ます。

クーパーヒューイットが一族になった理由

非凡なAbram Hewittーいわゆるマスオさん

非凡なAbram Hewitt (アブラム・ヒューイット)は婿です。ピーターの子供の家庭教師。優秀なだけでなく誠実な人間でした。13歳で当時マンハッタンにあったコロンビア文法学校で13歳で入学。3年後に現在のコロンビア大学に入学。最優秀で卒業した後、同大学で数学と文法を教えながら法律の学位を取得した人です。その後、Peter Cooperの二人の子供の家庭教師になります。結果、Peterからの信頼を受けるようになります。(注:ここで出てくるサラはタイトルに出てくるサラではありません)

その後、エドワード(ピーターの息子)とアブラムは仲良くなります。あるヨーロッパ旅行中に船の難破経験から親友になりました。また、娘のサラ・アメリアは当然優秀で誠実なアブラムに恋に落ちます。そして、彼と結婚する事になります。当時、Cooper家は大富豪として有名でした。1855年にニューヨークタイムズにも掲載されました。

アブラムとエドワード息子が経営を担当するようになる

アブラムはその後は息子エドワードと共にCooper家のビジネスを継承。鉄鋼業を発展させ、ニュージャージ州の鉄道ビジネスに成功。さらに当時の南北戦争の武器に鉄鋼業から武器製作にも携わりました。Cooper, Hewitt&Co.という形で更に進展。Tiffany & co.みたいな感じですね。

アブラムは婿でありながら、やがてNYの市長にもなる

アブラムは政治への興味もあり生粋の民主党。当時移民のるつぼだったマンハッタンの移民環境にも力を注ぎました。Peterのフィランソロピー(慈悲愛)を後継し、教育へも余念無く募金をしました。のちに自分の母校であるコロンビア大学への発展に力を注ぎす。また、最終的にはニューヨーク市長になりました。ブルックリンブリッジなどニューヨーク市の発展にとても貢献。人々から慕われた市長さんでした。

ちなみに、パンデミック中に有名になったクオモ知事は市長ではなく州知事です。今回、ニューヨークは初めて民主党の黒人のアダムさんが市長になりました。ニューヨークがリベラルなのは、歴史的も民主党によって発展してきた街だからです。

お待たせしました、サラ クーパー ヒューイット !

お待たせしました。Sarah Cooper Hewit サラ クーパーヒューイットの登場です。サラはアブラムとアメリアとの間に生まれた5人のうちの一人。おてんば才女であり、フランス語を家庭教師から教わっていました。姉のエレノア Elenorと仲良しでした。得意なフランス語を武器に二人でヨーロッパでの車で旅行などもしています。彼女は、楽器もいろいろ演奏ができ、ハプシコードも演奏してたそうです。2回目のマノアビジットで、ハプシコードを発見しました!また、最終的にはフレンチホルンを教えていたとか。

そして、サラとエレノアもおじいさんに当たるピーターの慈悲愛を継承。人々が無料でアクセスできるCooper Hewitt Museumなのです。

クーパーヒューイットの場所はどこ?

[りんご狩りへ行くならアップステート]

結婚しなかったサラとエレノア

サラも姉のエレノアも当時、結婚するということは考えませんでした。現在のように女性が自由に働く権利がなかったからです。主婦業に専念することを避け生涯結婚をしませんでした。

私たちが、今働ける権利があるのは過去の女性が頑張ってきたからの記事↓

多くの財産を継承したこと。また、叔父や父アブラムのフィランソロピスト心も引き継ぎました。教育、またアートへの興味とともに、その発展や記録に力を注ぎました。サラの集めた車やそのパーツなど、フォード車のミュージアムに展示してあるようです。

現在のミュージアムがある建物にもご注目。なんと実業家のアンドリュー・カーネギーが晩年暮らした家です。また、カーネギーも生まれは貧乏でしたが実業家として成功。教育やアートに投資をしたフィランソロピストです。カーネギーホールの創始者ですね。

クーパー ヒューイット美術館展 2022年

あの恐怖体験から一年後。去年コロナも落ち着いてきたのでミュージアムに再び足を運んでみました。とっても面白かったです。ITテクノロジーの顔認証を使ってのアート。また、80年代のポップアートやファッション。更に、二階には中東の王妃や皇族の女性がきた高級ブランドのドレスの展示でした。

ミュージアムに写真掲載

20年前に行った時は、建築物のデザインや模型を見た記憶があります。今回はもっと充実していました!

最先端の近代アートが見れるスカーステッドギャラリーはここから歩いて行けます。自転車CitiBikeでもOK

最後に、リングウッドマノアに出没する3人の幽霊

1人目

一番初めにマノアを建設したスコットランド出身のロバート・アースキンの幽霊。晩年のおじいさんになった彼が現れるとか。青いランタンを片手に、池のほとりに腰掛けている姿が見えるそう。それは日没の頃だそうです。

2人目

当時は黒人奴隷がお屋敷にいるのは当たり前でした。当時、酷い仕打ちを受けた黒人奴隷の幽霊。姿は見えずともトラップ現象が起こるそうです。ドアがバタンと閉まったり。

3人目

Sallyサリー 。。なんとSarah Cooper Hewittの幽霊だそうです。人への好き嫌いが激しかったようです。彼女が近くに現れる場合はバラの香水の香りがするそうです。これか!? でも香りはしませんでした。鼻も詰まってたし(笑)しかし、調べていた時に奇妙な写真を見つけました。

この写真はスペイン風邪は流行した1918年にRingwood Manorで撮影されたものです。このお屋敷も見てきました。真ん中にいるのは姉のエレノア、一番右が晩年のサリー(サラ・クーパー)歴史を知りたかったらこちら

Photo Courtesy to Cooper Hewitt Museum

コロナ渦にお屋敷に押しかけたから、追い出されたのかな? 嫌われた!!と思いました。後ろにある白いスターチューも現在も見ることが出来ますよ。

まとめ:感じたこと

長いことおつきあい頂きありがとうございました。Cooper一族は、ニューヨーク市を作り上げた一族。また、サラとエレノアによってできたクーパー ヒューイット美術館の存在。ここでは、最新の技術や歴史的なファッション、アートなどを定期的に展示しています。またリングウッドマノアで幽霊体験もお勧めです。



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