米同時多発テロから20年以上が経つ

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米同時多発テロから20年以上

米同時多発テロから21年も経ちました。アメリカでは忘れ去られてしまうのではないかという懸念のニュースもあります。史上最悪とも言われる国際テロ。

昨夜は、SOHOへ行ったのですが、満月だということはすっかり忘れていました。こちら、ニューヨークでも中秋の名月が見れました。そして、お月様の前には、グランドゼロのメモリライトが雲を貫いていました。どちらも亡くなった人々へ追悼するかのように美しく輝いていました。



まえがみ
まえがみ

今日は、少し過去を振り返ってみたいと思います。

米同時多発テロとは?

国際テロ組織による史上最悪とも言われる旅客機ハイジャック事件です。ニューヨークのアイコンでもあったツインタワー。そこへ、次々と乗っ取られた旅客機が突っ込みました。日本人24名を含む2977名の尊い命が失われました。彼らは、朝出勤し、真面目に働いていただけでした。

追撃により崩壊したツインタワーの跡地は、グランドゼロと呼ばれています。そして、当時のメモリアル記念館もあります。

2012年の秋に撮影した写真です。亡くなった方の名前が石に刻まれています。

当時 図書館で同時多発テロの事実を知る。

私は、カリフォルニアのカレッジにいました。朝、大学へ行くと、図書館の講堂に人集りが出来ていました。人々の間を見てみると、何やらテレビが設置されていました。そこには、映画のワンシーンの様な飛行機の追撃の瞬間が何度も繰り返されていました。もちろん、何が起こったのかさっぱりわからない状態です。覚えているのはみんな泣いていたことでした。もう21年前のお話です。

血液が足りない。

こういう時に確実は情報はあまり入ってこないのです。しかし、「血液が足りない」という情報だけは入ってきました。なので、私も献血へ行きました。具体的な死者やけが人の状態はわかりません。とにかく、大変なことになっていて「血液が足りないんだ」ということです。西側にいた私たちは献血へ行きました。

BMCC は影響を受けたコミュニティーカレッジです。

このブログでも紹介している2年制のコミュニティカレッジ。BMCCは、テロによって校舎が壊れました。BMCCは、トライベッカに位置するため、ツインタワーから非常に近くの所にあります。

実は、このエリア在住者には、白血病やガン発症を起こしている可能性がある様です。それは、ビル崩壊により体に有害な物質が拡散したからです。そういう方々が連絡するホットラインや団体もあります。テロは、当時の死者だけでなく、その後にも影響を与えました。

テロ直後にニューヨークへ上陸した私

あのテロの次の年に、私はニューヨークへ移住したわけです。しかし、まったく怖くありませんでした。どうしてかはわかりません。行かないことの方が、怖いことだと思っていた様です。

その後のニューヨーカーへの変化。

この同時多発テロのあと、ニューヨーカーが優しくなったとはよく言ったものです。それまでのニューヨークは東京と同様。他人のことは気にしない様な冷たさがあった様です。

しかし、私が来たニューヨークは人々が優しく、声をかけてくれる印象はありました。カリフォルニアと同様にフレンドリーに感じたのは、私だけではない様な気がします。

ニューヨークの団結力があったのだと思います。

米同時多発テロとパンデミック

本当に色々ありますね。昨日のニューヨークは、パンデミックが落ち着いた様な夜でした。SOHOは活気に満ちていました。



しかし、同時多発テロの後とパンデミック前のニューヨークを今思い返す。やはり、もっと安全で平和でした。あまりにも多くのレストランやお店が潰れ、復活にはまだまだ時間がかかりそうです。

そして、今も尚、団結するニューヨーカーたち。

何が起こっても復活する強いメンタリティーのある街だなと思います。そして、住む人の経済力。私が意味するのは、想像を遥かに超えるお金持ちが住む島だということです。なので、必ず復活を遂げます。

このシーンはもう戻ってきていますよ。



まとめ

今日は、米同時多発テロ を振り返ってみました。昨夜のニューヨークの中秋の名月。それは、過去を振り返させる様な、美しく意味深な光を放っていました。そして、グランドゼロが空へ突き出すメモリアルライト。鮮やかに見えたのは気のせいではないと思います。これは、絶対に忘れてはいけないというメッセージだと思いました。

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